May 19, 2014

1年

沖縄に行ってきた。
母が亡くなってちょうど1年経つ。キリスト教だと一周忌とは言わないのだけれど、一周年の記念会というのをやった。
お墓もできたので納骨式も同じタイミングで行った。

仕事を終えて、急いで電車に乗り羽田に向かって、羽田まで来てくれていたニシカワ君と合流し夕飯を食べ、では行ってきますと私が言い、行ってらっしゃい、俺は会社に戻りますとニシカワ君が言い、そうしてANAの最終便に飛び乗って沖縄に着いたのは23時だった。
飛行機を降りるなり湿気による熱っぽい空気が腕の辺りにむわっとまとわりつき、薄手のニットを着ていた私は袖をまくり上げずにおれない。
荷物をとってモノレールに向かうべく建物の外にでると、さらにものすごい湿気が肌に貼り付く。薄い膜がペタリとまくった腕に。我が故郷はこんなにも湿ったところだっけか、と思わず笑う。
最寄り駅的な駅につくと、Tシャツを着た妹達が迎えに来てくれていて、今日の湿度は95%なのだと教えてくれた。

家に帰って、お土産諸々を渡して、お茶を淹れて少し話して、翌日に備えて眠った。
家について、「ああ実家の匂いだ」と思うのとほぼ同時に、母の遺影とその両脇の生花と母の友人からのアレンジメントが目に入り、その花の香りがちょうど1年前の一連のことを一瞬で呼び起こした。あの一連の、母に化粧をして棺に入れて花でいっぱいに囲んで火葬して、そのあと部屋に遺骨を置きその両脇に花を飾って献花してもらって、 たくさんの人に慰めの言葉をかけてもらい、その一つ一つに答えながら気を紛らわし、ふとした拍子に泣きだしていたあの日々のこと。

記念会の日は曇っていて、今にも泣き出しそうではあったが、記念会の間は持ちこたえていた。母の好きだった賛美歌を歌い、祈り、この1年のことなどを話したりして、納骨のためにお墓のある場所へ移動するという段になって雨が降りだした。母の亡くなった次の日の前夜式も、告別式もそういえば雨だった。お墓の前にテントを張って、納骨式を終えた。父はこの一年、お墓のことをとても気にしていた。お墓に納骨できてほっとしていたし、そして今やっぱり寂しいと思う。
帰宅してからも来客は続き、結局21時頃まで対応していた。母の教え子や父の職場の人。少し喋りすぎるきらいのある叔母が食事の仕度をしてくれて、久しぶりに皆で食卓を囲んだ。母の不在には少し慣れたような気がしている。

次の日は妹夫婦が帰る日で、その前にちゃんと晴れた日のお墓を見ようということで改めて行き、その後海へ行った。海は相変わらず青くて、水平線は相変わらず真っ直ぐで、日差しは相変わらず痛いほど強く眩しく、私は相変わらず死ぬときはここがいいと思った。

至極当たり前のことだけれど、ある一人の人の死というのは、誰にとっても同じではありえない、と思う。
私が母を亡くすことと、別の人がその人の母を亡くすことは全く違う。
あえて言うなら、私の妹が母を亡くすこととも若干違う。
もちろん相似はある。共感もある。でも同じではありえない。
私が母を亡くした衝撃や悲しさを絶対に共有できない人もいる。

母とはまた天国で会える、と思っている。それは周りのクリスチャンは皆そう信じている。でも、それである程度悲しみを軽減できるかどうかというのは人それぞれだし、それはそれぞれのペースを尊重するべきだと思っている。

今回の帰省にニシカワ君が一緒ではなかったことも大きいのかもしれないけれど、ああ、本当に実家に帰っても母はいないんだ、と思った。二人実家に残っている父と妹がどんな気持ちでこの一年を過ごしたのか考えるのが苦しかった。

帰りの飛行機で離陸する時、少し泣いた。