August 4, 2015

メモ150801

桜木町
スタバどこ
端っこの方
あつい
ていうか中華街いくか
茶屋かなー
ぎりぎり
チャーシュー丼
抱負とか書かされる
紅茶だね
本かー
紀行文
えせい
同性婚
偽装結婚
爆竹

桜島

横浜がごめん
お茶だけでもいいですか
もちごめ
星野道夫
いつかみんな死ぬしな
何者かでないといけない感
560円
観光客みたいでごめん
ちゃんとこてこてのレトロバス
デートスポットとして活用した過去
おおさんばし
でか縁側
ばあちゃんちか幼稚園
朝ヨガ?
ヘリ
海風
夕焼けから夜景
寝転んで空を見ることのエポック感
破局した女友達
大夕陽と大月
おばんざいと琥珀エビス
旅の絵本


May 4, 2015

20150502Daiba-Asakusa

これもメモで。

・行くぜ台場
・その前に新橋万世でかつサンド確保
・ゆりかもめの車両変更。顧客ニーズのわかってなさ。
・これからBBQ行くんだね
・青海
・陽射し、きりん、赤い海(ここまでエヴァ)、レイヤーの撮影会、つりびと
・晴雨兼用傘(菅笠タイプ)
・かつサンドうまい
・ハンバーグサンドもうまい
・テレコムセンター競歩
・ニューヨーク行けよ発言
・ヒミコとホタルナ完売情報からの乗り換えルート切り替え
・かき氷(1回目)
・海舟ふたたび
・船に乗ってる時だけ手を振り合う文化について
・海なのに360度ビル郡
・日の出で歌舞いた船遭遇
・なんか隅田川遡上
・女子大生なのかOLなのかわかんないけどちゃんと抜け目なく可愛くしてる女子集団の向こう側に築地とか
・浅草・仲見世・芋ようかん
・浅草・仲見世・かき氷(2回目)
・オープンレストルーム
・レッツパンケーキ@Cafe michikusa で美味しい
・オシャンティーいただきました
・京都みたい
・なんかスカイツリーまで一駅で近いけど
・だんだん禍々しくなってきたけど
・終末感やばいけど
・空間に歪みが生じてるけど
・これロンギヌスの槍ですかね(ここまでエヴァ)
・ソラマチっていわゆる郊外のショッピングモールですね
・神保町から移転した雑貨屋
・きのこ・文鳥・鮭・アリクイがすべて可愛い雑貨屋
・なんかごはんの匂いとかお風呂の匂いとか
・意外と浅草線からの京急乗り入れですごい早め
・浜虎長蛇ゆえ塚田農場
・ファンにさせる仕組みのすごさ
・担当、生産者とのヒモ付け、宮崎愛中心のコンセプト設定、説明とフランクさ、現場レベルでの工夫促進の仕組みづくり
・感心感心

“HEADZ 2015-1995=20!!!”

とりあえず書くと長そうだから箇条書きメモ。
・ポークたまごおにぎり
・ごとごと
・なんか客層ちがう人いっぱいいる
・本日の推しメン確認
・帽子の二人組のひと
・はじめましてー
・まどマギ
・まずは伊東篤宏
・蛍光灯バッキバキ
・鼓膜やばい
・そしてcore of bells
・何かのルールにしたがって人がいたりいなかったり
・ワンピースとハーフパンツ集団
・コルネリさん浮いてる
・カレー屋
・40分で頂上につく
・渋谷の頂上ってなんだよ
・すべらかな
・水頂戴
・goatまじかっこいい
・かっこいいしか言えない
・イケメン
・面白みもなくかっこいい
・MARKさんの衝撃
・コルネリをかすませるほどの衝撃
・絶妙な不協和音と不安感とゆらぎのバランス
・魔法少女ですか
・豊田道倫の弾き語りも体育座りで
・曽我部恵一からお歳暮くるんだ
・すずきーようぴーはわりとおじさん
・ポスター込みか
・ju sei うおうおうお
・なんか歌声も見た目もアーティストっぽい
・ギターの人歌うしつまみいじってるしいそがしいけどうおうおうお
・空間現代 タイト
・どうやって演奏してんの
・Moeさんとゴースト Moeさんしか見えなかった
・むしろゴーストイン・ザMoeだったのでは
・イベント後の吉野家
・胃もたれ

March 7, 2015

大友さんがいい人だということ

2/22に 音楽と美術のあいだ/大友良英@ICC 最終日を見に行った。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2014/Between_Music_and_Art/index_j.html

あまちゃんの前から知ってはいるけど、大友良英の音楽をよく聞いているとか、注意して活動を見ているとか、そういうことではなかったので、平日疲れていてICCまで行くのは正直ちょっとしんどかったのだけれど、ニシカワ君の
「でも、大友さんいい人だよ」
に押されて、行ったのだった。

展示は2つあった。
・guitar solos 1
 ICCの階段の両サイドに8対、計16個のスピーカーが設置されていて、それぞれからギターの音がする。メロディーではない。タイミングや場所で聴こえる音が違う。ずっとうろうろしていたい階段。

・quartets
真っ暗な大きい部屋の真ん中に白いキューブ。キューブには部屋の各側面から影が投影されていて、楽器をさわったり声を出すアーティストの影が映る。それぞれが出した音も流れる。ただし、それは一緒に録ったものではないし、それらを投影する時間的配置はコンピュータが制御していて、常に違う組み合わせの音が、アーティスト本人たちはそこにいないのに即興演奏が生まれているという展示。

そして最後にいろいろなアーティストや評論家の、「音楽と美術のあいだ」についてのショートエッセイが壁に書かれた部屋。

そしてクロージングのトークイベント。
大友さんは、いい人だった。
下記まあだいたいこんなこと言ってたな、っていう文字起こし。全然正確じゃないけど多分だいたいこんなこと。

「音遊びの会、ってやってるんだけど、トロンボーンの藤本君なんかもうめちゃくちゃなんだけど彼にしか出せない音でぶわっと吹くの。」
(※音遊びの会:即興表現を得意とするアーティスト、知的に障害のある人、音楽療法家たちが集まった音遊びの会。)
「チャーリー・パーカーとかやんないとフリージャズやっちゃだめだって言う人とかいるんだけど、そういうのって絶対嘘だよね。できるもんね。そうやって縛るのって良くないと思うんだよね。」
「下手でも何か習ってなくても、音楽やっていいんですよ」
「高校生の時にレコード屋行って、クリスチャン・マークレーの『レコード・ウィズアウト・ア・カバー』っていうレコード買ったんだけど、名前の通りカバーが無いの。それでどんどん傷ができていくんだけど、レコードに針落とした時に聴こえるノイズが、元々入ってたものなのか後でついた傷によるものなのかがわかんなくて最高にカッコいいって思ったんだよね」
「もうジョン・ケージがこう言ってたとかで話すのやめようよ。ジョン・ケージ禁止!もっと自分の頭で考えようよ。」

あとはいろいろ、場から音楽が生まれる話とか、ライブハウスの端っこにそれぞれ演奏者を離して即興やると、おもしろいとか。
音楽家だから音楽の話を中心にしていたけれど、もっと根本的に、人間がやりたいこと、楽しむこと、何かをする(またはしない)自由について、ものすごく真剣というか、それを制限したり縛ろうとするものに対する強い反発が感じられて。
それを自由にしたいのにいろいろなものに縛られて躊躇したりしてる弱い立場の人達にとことんやさしいというか。

ほんと大友さんいい人だなー、と思ったことを書いとかないと、と思った。
書いたー。


February 4, 2015

女のいない男たち

女のいない男たち/村上春樹 読了。

遅まきながら、村上春樹の久しぶりの短篇集を読んだ。私は割と村上春樹の短編は好きで、誰かも村上春樹の真骨頂は短編にあると述べていたのだけど。
かつて1Q84が話題になった時のような熱狂的待望や増刷が間に合わずに書店でも予約待ち、なんてことは起こらず、ひそやかに、ただとはいえ春樹の新刊だから、本屋のあちらこちらに平積みされていた。

基本的にどうしてもその本に飢えている時でなければハードカバーは買わないのだけど(持ち歩くのがしんどい)、飢えている時に買ったハードカバーは持ち歩く必要もない(すぐ読み終えるからだ)ことに気づいた。

この本は、6篇の、いわゆる「いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」についての短編からなっている。アーネスト・ヘミングウェイの「Men Without Women」(女抜きの男たち)のようなニュアンスではなく。
 めずらしく著者による「まえがき」がついており、そこで若干「業務報告」的に、初出と収録時の作品の変えている部分について事情を説明している。ああ、村上春樹が所謂業務的な説明をするとこうなるのだなというところが、いささか興味深い。

私は割と初期の「風の歌を聴け」とか「カンガルー日和」とかを好んで何度も読んでいたから、今回の「女のいない男たち」は随分と大人な印象を受けた。勿論どこまでも彼は、というか「僕」は十四歳の少年じみているのだけど、多くの大人的事情や社会的事情を含んだような慎重さというかシリアスさを薄く何層も重ねたような風になったな、と思う。本質のところでは変わらないのかもしれないけれど、つまり希求しているものは同じなのかもしれないけれど。
いずれにしても春樹にしか書けない作品たちだったと思う。

「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。」
「その世界では音の響き方が違う。喉の渇き方が違う。髭の伸び方も違う。スターバックスの店員の対応も違う。クリフォード・ブラウンのソロも違うものに聞こえる。地下鉄のドアの閉まり方も違う。表参道から青山一丁目まで歩く距離だって相当に違ってくる。」

たとえば女性作家の誰かがこのような作品を、つまり男性を失うことについてこんな風に繊細であたたかくかなしみに満ちてそれを否定もせずに受け入れて(息を引き取るまで留まるワインの染みのようなものとして)、書いているだろうかとかんがえる。まったく最近小説を読んでいないけれど、多分書いていないんじゃないかな、と思う。
女性はたぶん、彼の言うところの「豊富な家政学の知識」をもってその染みをきれいに落としてしまうのだと思う。もしかしたら、染みがもともとできないような素材でできているのかもしれない。まあ、人によるだろうけど。




優れてやさしい作家だと思う。私は好きです。

January 11, 2015

2015

2015という数字は好きだ。自分の誕生日がそうだからか、1とか5とかが好きなのだ。
そうして私は誕生日が1月なので、年が明けるとまもなく年齢もひとつ繰り上がる。
自分の歳を鑑みて、いまだにこういう文章を書いて、かつてaccelerateとか言っていたのがうそみたいに停滞していて、どこからこんな風にシフトしたのだろうかと考える。

職場の有志で2014年のマイ・ベストな曲を持ち寄って匿名で聴き、投票するという催しをやったのだけれど、自分の2014年を象徴する曲があまりにも思い浮かばないくらい、2014年は散漫な年だった。
いろいろなことがあったのだろうけれど、すべてが日常に組み込まれてしまって均されてしまって、主観的には本当に、バラバラでまとまりがなくただ流れていった年だった。
一応客観的には転職をしたので、それに基づいて、坂本慎太郎の「君はそう決めた」を選んだけれど。


今日、というかもう日付変わったけれど、2001年から髪を切ってもらっている美容師の人に髪を切ってもらって、その帰りに2007年頃に行っていた中野新橋のジャズ喫茶に行って、2003年頃から読み始めた村上春樹の短編を読んで過ごして、すっかり遅くなって家に帰り着いた。
いずれも最初に触れた状況とは少しずつ変わっている(たとえば美容師さんは2回支店を移動したし、中野新橋の駅舎は若干新しくなっていたし、ジャズ喫茶はマスターのほかに若い男性店員が増えていたし、村上春樹については作風が少し大人っぽくなっている)けれど、いずれも本質的には変わらない人や場所やものであり、東京で過ごすうちに得てしまったこの感覚、つまり自分の見知った(信頼できる)ところが家の他にあるという感覚をくっきり意識することになった。
それは確かに私にとって東京で生きるうえで必要な感覚だったし、それを多分半ば意識的に収集していた。
そしてそれはすべて2013年より前に収集した人や場所やものだった。

2008年頃から急に減速して、ほぼ停止して、それは多分エンストで、焦ってエンジンをふかそうとして2年経って。
実際に2010年の終わり頃にエンジンはかかったのだけれど、そこから加速することはなかなか体力的にしんどくて、そうやってしんどいことを認めてゆっくり速度に乗ったところで、2013年、今まで助手席または後部座席に乗ってくれていた母がいなくなった。
そのあとはどういう風に運転しているのかよくわからない。なんとなく自分ひとりで適当に運転しているけれど、ただただ流れに乗っているだけで速度もわからない。ただ全部同じような景色にみえるから停滞しているように見える。
やたら時間だけが過ぎる。2015年になっても感慨も無いし、無論おめでたいとも思わない。
自分が何も考えなくなった、バカになったと思う。あらゆることへの対応は、反射と今までのストックの焼き直しを出しているだけだと知っている。

今書くまでわからなかったけれど、母がいなくなってから、多分私は思考することを止めている。
思考することは自分の内側をスキャンすることで、それは必然的に母の不在が私にどう影響しているかということに向き合うことだったからで、私にはそれが重すぎた。それをしながら仕事や生活をすることは不可能だった。
でも、このまま停滞していることを強く自覚しながら過ごすのも苦しくなってきた。
つっかえていることを少しずつ片付けなければならないだろうと思う。

書き始めた時は、こういう文章になるとは思っていなかった。
書かないと出てこなかった。
2015年は書こう。