December 20, 2014

じっと手を見る

できることとできないことがあるのはその通りだとして、でもそれを分ける線はいつも流動的だと覚えていたいと、思った。

できないことは今できないけど、いつかできるかもしれない。ひとりではできないかもしれないけど、二人や三人やあるいは十人ならできるかもしれない。

自分がどういう風に生きていきたいのか、最近よく考える。
今の生活がしあわせだと思う。でも、少し停滞している。そして、自分だけしあわせでいいのかとも思う。
ただ、今自分の体力的リソースを割とギリギリで回しているとも思う。
(タイムリーにも最近2人の別々の女性の先輩から、体力をつけることの大事さを示されたところだ。)

自分が立っている場所は、多分今立っていていい場所なのだと思うけど、立っているべき場所なのかはよくわからない。
人はひとところにずっと立っていられるわけではないし、最近手相を見られた結果、波瀾万丈な運命線が濃いとの指摘なのだし、誰しもいずれは歩かざるを得ないわけだけど。
そういう風が吹くときは、そういうふうになるんだろう。

昨日ある人の肩に右手を置いて、その人の人生を思って、神様のことを考えた。
帰る道々、何度か右手を見た。
肩に手を置くことしかできなかったし、もしかしたら手を置くことすらできなかったかもしれない。
でも沖縄にいた頃より、私の手は割としっかりした手になっていると思った。