July 27, 2009

influenced

かつてつきあっていた人を思い出させるような人を最近見かけて、困惑する。
そのかつてつきあっていた人のことを思い出すし、自分が今どう思っているのだろうかというような、全く実のない思考をしようとするので困惑しているのである。


一度好きになった人は嫌いにはならない、という命題は私の場合真である。
嫌いになってしまう人というのはそもそも好きじゃなかったということになるが、実際それはその通りで、そういう人と間違っておつきあいという体裁をとってしまった場合、大概一か月以内に間違いに気づいてこれを相手方に対し訂正し解消するので、これはつきあったとはカウントしないことにしている。
つきあう、ということの本質というのは、思うに、恋愛関係という親密さの中で互いの世界をシェアしあい、影響を受けあうことによって人間がある一定の変更を受けるということにある。たぶん。
その本質を実現するに相応しい関係として、上述のようなケースは当てはまらないと考えるのである。
全ては定義の問題であるからして。


その思い出す人は、幸か不幸か、間違ってつきあったわけではなく、好きでつきあっていたので、大きな影響を受けている。大きな変更を受けている。
その人にひもづいているものというのは結構あって、それは日常生活の中でちらちらと出てくるのである。それは不快でもなく快でもなく、単なる条件反射のようなものにすぎない。たとえばマイケル・ジャクソンの訃報を聞いて(彼はマイケル・ジャクソンを敬愛していた)、あ、と思う、というだけのことである。


まあこれも頭を抱えてしゃがんでいれば通り過ぎていくのだろう。
処世処世。

July 23, 2009

やつす

「知る楽」の再放送で、歌舞伎の話をやっていた。

その中でのキーワードだったのが、「やつす」という言葉。身をやつすとか、聞いたことがあるけれど。いくつか意味があるようだが、この番組の中では、みすぼらしくする様、とか。
やつれる、というのは、みすぼらしくなる様だけれども、やつす、というのは自らみすぼらしい格好をするということ。らしい。
それで、このやつす、というのを演じるのが「やつし事」というらしい。多分。

どうもこれが、いいらしい。

「廓文章(くるわぶんしょう)」というのの主人公がこれで、どっかの金持ちの家の放蕩息子が家を勘当されて一文無しになったところで恋人だった遊女に会いにやってきて云々で、結局勘当が許されて、主人公が遊女を身請けするという話らしいのだけど、この主人公を初演の初代何とかさんが絶妙にこなしたそうなのだ。そこにあるのは色気だったとか。

一文無しになったとて恋に身を焦がす男の姿を描くことで、身分社会を超えた恋愛、というものが人々の心に届いた、という話でまとまっていた。

けど、この主人公に関しては、やつしたんじゃなく、やつれたんじゃないか(勘当されてるからねこの人)、という疑問は一点。
また、この主人公が院での同期Tさん(放蕩息子ですと顔に書いてある)とかぶってしまったというのが一点。
で、一文無しになって(しかもその理由が放蕩による勘当)、遊女に会いに来た恋に焦がれる男(始終そわそわしている。他の客といた遊女を嫉妬して罵倒する。)にはそんなに惹かれないよやっぱり、と思ったのが一点。
というか、これは演じる人だとかによるよなあと思う。

光源氏がやつして恋人に会いに行く、というのは、理解できる。格好いい気がする。

やつしてもやつれてもいいのだけど、きっとそこにはかつて高貴だった人の落ちぶれた様がものがなしく、切なく、何とかして差し上げたい、というような(主に女性の)心理が働くのではないかと推測される。
私とておそらく例外ではあるまい。

で、さっき知ったのだけど、京都や大阪では「やつす」というのは「めかす」って意味があるらしい。全く逆の意味で、興味深いことである。

July 22, 2009

無の無。

無色透明っていうのだけども、透明というのは見たことはない。そもそも見えないものが透明だからな。
透明なものがあったとして、それが透明であるということが分かるのは、その向こうにある何かが見えるからで、その何かを見ることによってその何かと自分との間にあるものが透明だということを知るのである。

だから、完全な透明だけ、というものはイメージが出来ない。向こうに物が見える、というのはイメージが出来るけど。
イメージというのはあくまで何か目に見えるものだからだ。

同じように、というか、更にイメージできないものが、無だなあと思う。
無、といわれて私がイメージするのは、真っ暗な空間だったり真っ白な空間だったりするのだけど、それすらも空間が存在しているので、無ではない。なんにも無い、ということは絶対イメージできないし、イメージできたらそれは無ではないということになる、と思う。たぶん。

そして、イメージできないものを、言葉にして定義したということがかなりすごいね、と思った。みたいな話。

まあ多分、そもそも「無」っていう言葉は何かに限定して使われて出てきた言葉なのかもしれないけど。例えば、椅子が無い、とか。テーブルとか部屋とかコーヒーカップとかはあるんだけれども、椅子に限った話では、無い、という使い方。そこにあるのは椅子が無いという状態で、それは全然イメージできるから、あんまりすごくない。
すごいなと思うのは、なんにも無い、って意味の「無」だ。
でも多分これも、その部屋からどんどん物を無くしていったらたどり着けるような気もしないでもない。椅子を無くし、テーブルを、コーヒーカップを、部屋それ自体を、無くしていったら、と考えると、究極的にはまあ「無」にたどり着く。
すると、あんまりすごくないな、という話になる。む。すごいと思ったんだけどな。

空の空。すべては空。
って言葉があるけれども、そして私は結構この言葉が好きなのだが、空と無だったらやっぱり無の方が究極的なんだろうなあと思う。空っぽ、ということと、なんにも無い、ということは、ある状況では同じことを意味するのかもしれないけれど、厳密な意味においては、空の方は空間を残している気がするのに対して、無はそれすらも残さない、と思う。

話はそれるけど。
言葉というのは、あらゆる物事に名前をつけたものなんだなと思う。
言葉に「言葉」という名前をつけ、口から言葉を出す行為に「言う」という名前をつけ、口に出さずに考える行為に「考える」「思う」なんかの名前をつけて、そうやって網羅的に人の行動や物に名前をつけていって、それをみんなの中で共通させて、伝達するのに使うということ。
ものすごく壮大なプロジェクトだったな、と思う。大抵の物事や事象に名前がついていることに結構驚愕する。身の回りのものを見渡しても、名前がついていないものはそうそう無い。
そしてそれが何百年、もしかすると何千年前から、ある程度完成していて、いろいろな人々の手によって半ば無意識的に更新され続けているというのは、ものすごく興味深い営みだと思う。

言葉の中には、息の長い言葉、半永久的な普遍的な言葉と、旬のある言葉というのがあるな、とも思って。「無」なんか前者の最たるものだと思う。「生」とか「死」とか「愛」とか「憎」とか、そういうシリアスめいた言葉というのは大抵そうで、それがシリアスなのは全員の根幹に共通する性質であるからで、そういう根幹の部分の言葉というのは何故か敬遠される。それが生命にとってナイーブな部分、ある意味でのウィークポイントであるから本能的に避けるのかもしれぬ。
そしてそういう話題がのぼるとき、皆神妙な顔つきになって、自分を相手を傷つけないように慎重になるのかもしれない。
でも、無はそんなでもないな。まあいいや。


で、どうしても無がイメージできないなあと思ったということ。

July 21, 2009

1q84読了など

1Q84をようやっと読了。

むむ。面白かった。昨日今日で読んだのだけど、いいのめり込み具合だった。
面白かったけど取り残された感はかなりある。続編のうわさがあるのもうなずけるところ。


これを読むにあたってレビューやなんか、小さな情報も耳に入れないようにしていた。いつもはレビューを見て買ってしまうこともけっこうある方だしそれは便利な場合もあるとすら思うわけだけど(勿論、読もうか読むまいか判断する材料になるから)、この作品に関しては騒ぎたてられ過ぎてかどうか、まっさらで読みたかった。江國香織は好きだが、そういうのは初めてだなあと思う。
読む前に、テレビのチャンネルを変えていたら唐突に、この本を栗山千秋が朗読しているシーンが飛び出してきて、何してくれとるんだ、と思いながらすばやくチャンネルを変えたのは、まあそういうことだ。

私も多くは語らない。というか、まあ、語れない。
私が語るに足る人間ではない、ということもあるし、実際いつものように咀嚼しきれていないというのがあるし(反芻が必要だし、それでも結局わかるようになるのかはわからない)、彼の作品には、他の多くの文豪の作品と同じように、口をつぐませる何かがあるとも思う。

しかしながら、安達さんに、読んだらメールしますと言ってしまった以上、何かは言わなければならないのだけれども、まいったな。


彼の作品はメタファーに富み過ぎていて、私は注意深い人間でもないし、情熱や根気のある方でもないので、遂にわからぬまま生涯を閉じることになるだろう、という作品ばかりである。
それは実際惜しいことかもしれないけれど、それを受け入れるだけの諦めの良さも備わっているので(それを情熱や根気がないと言うのだが)、おおむね楽しく読める。わからなくても。
でも一度、もしその作品を読み解く講義なんかがあったら、聴いてみたいとは思う。もしかして文学部ってそういうことをするのだろうか。聴講しておくべきだった。別に同意できない解釈でもよくて、ある一定の教授なりなんなりという文学を教える立場にある人の見解を、仔細に聞く機会があってもよかったと思う。
私は何によらず、大学時代にやり残したこと、というか、大学時代にやっておけばよかったと後悔することが多い。


あ、この前また本屋へ行ったら、新潮文庫のマークを30冊分集めたらもらえる、Yonda?Dollが(パンダのぬいぐるみ)飾られていて、超かわいかった。かわいかったけど、ぬいぐるみというものはいかに可愛くとも、たとえそれが彼氏にディズニーランドで買ってもらった記念のものだったとしても、箪笥の奥などに仕舞われるという運命を辿ることになっているので、写真で我慢しようと思う。(加えて、「ぬいぐるみ」ってひらがなだと可愛いけれど、漢字で書くと「縫い包み」で、少しこわい。ああ、(布を)縫って(綿を)包んだものなんだよなあと改めて思う。)

July 19, 2009

もってるとかもってないとか

どんな人が好き?と聞かれた場合の答えとして、

格好いい人、とか、優しい人、とか、面白い人、とか、背が高い人、とか、頭がいい人、とか、めがねが似合う人、とか、いろいろ聞くのだが、その中に、自分を持ってる人、というのを聞くときがある。これは男の子に多い気がする。
私は、どんな人が好きか聞かれた時は大抵、話ができる人、とか答えている気がするのだが、まあこの答えも変なものだと思う。これはまあ措く。


で、自分を持ってる人、と言われて、それってどういう意味?、と会話中に食い下がったりはしないのだが、それってどういう意味?とは思っている。
自分を持ってる人が好きっていうのは、自分を持っていない人がいるということを前提としていて、そういう人を排除する意図で言っているのだけれども、自分を持ってるとか持ってないとかって一体どういう意味なのかしら。
その人が人間の個体として存在しているというだけで、自分というものが観念できるのだから自分を持っていないということは全くあり得ないね、という風に言ってみてもいいけど、そういうことじゃないってのはわかっていて、彼彼女らの意図するのは「自分の意見とか好みとかを持っていて、周りに流されない人」という意味で言ってるんだと多分思う。
でも、なんでも程度問題や相対的な問題に帰着させてしまう私としては、そんなの、自分の意見とか好みを持っていない人はいないし、周りに流されたことがない人もいないし、結局程度問題だろ、とか思う。頑固さの程度というか。


更に言うと、私が「自分を持ってる人が好き」というのを聞いて思うのは、私は自分を持ってない人なんて見たことないけどな、と思うということ。
よく見ていれば、もしくはちゃんとつきあっていけば、その人がどんな考え方をしていてどういうことにこだわるのか、というのはわかる。し、別にわからないからといって自分を持ってない、薄っぺらい、意見がない、人に合わせてばかりいる、みたいな評価を下すっていうのは途方もなく失礼な話だと思う。単にその人が心を開いてくれていないだけか、自分の観察力が足りないか、その両方をするだけの時間が不足しているだけだと思う。はっきりものを言う人とか、好きだとか嫌いだとかをはっきり示す人とかいうのは、外形的にわかりやすいということにすぎなくて、そうでない人が自分を持ってないってことにはならない。


かつ、比較的はっきりものを言う人、とか、比較的好き嫌いがはっきりしている人、というのはいるけど、いつもどんな点においてもそうである人っていうのはあんまりいない。
あらゆることにはっきり意見を持っている人ってのはいない。人間関係についてははっきりしているけど、政治のことになると口をつぐむとか、音楽についてははっきりしているけど、スポーツについてはそうでもないとか、そんなものだと思う。何につけても「これはこうだ!」とか、言える人というのはいないと思うし、別に言おうと思えば言えるかもしれないけどいつも根拠があるわけではないってことになって、単なる断定好きの人になってしまう。
別にいつもはっきりしている必要はないと思うし、いつも自分の意見を曲げないっていうのもどうかと思うし、なんにせよ極端だ。多かれ少なかれみんなある分野については意見を持っているし、ある分野については持っていない。
そして、その意見は誰だって何かから影響を受けているのであって、全くのオリジナルということはない、と思う。それって流されているというのだろうか。


この「自分を持っているかいないか」っていうのはもしかすると、日頃から考えているかいないかというところに結びつくのかもしれない。そのトピックについて考えたことがあって、もしくはその場で考えていて、そこにある材料で意見なり解釈なりを出せるかどうかということ、かもしれない。そしてそれができたかどうかをその相手が知るためには、その意見なり解釈なりを言葉で表現できるかということ、というのも含まれるかもしれない。
そういうことができる人が好き、と言っているのだろうか。それだと、考える力があって、表現力のある人、ということになるけれども。それだったら、なんとなくわかる気がする。司法試験みたいだ。


まあでも多分、私がこういう答えに反応するのは、「自分を持っている」という無意味にパラドキシカルな言い回しが単純に気に食わないんだろうと思う。

July 17, 2009

yomyom

母の用事が済むまでぶらぶらしている、ということで、洋服屋をのぞいたり、雑貨屋を遠目に見てその雰囲気を楽しんだりしていたが、全然時間がつぶせなくて、フロアマップで本屋を探す。


本屋といってもショッピングモールの一角にある本屋なので、そんなに充実しているわけではなく、でも毎夏恒例の、新潮文庫の100冊のコーナーが設けられ、黄色いYonda?君(パンダ)がかわいく、ほぼ全てのラインナップが平積みされていた。
他の会社もやってるはずだが、あんまり目立たなかった、というか独立してコーナーが設けられているのは新潮社だけだった。


私はあんまり読書家ではないので、厳選100冊!って感じの中でもちゃんと読んだことがあるのは15冊とちょっとくらいのもので、改めて、読まなきゃなあとか思ったわけで、そんな感じなので何を買うか迷ったのだけど(1Q84を買うことが決定していたので、更に買うなら1冊だけにしようと思っていたのだ)昨日の夜ぱらぱら読んでいた江國香織の「泣く大人」についと出てきた「いしいしんじ」という名前がひっかかっていて。
結局そのコーナーを30分近くも右往左往しちらちら読んでは置き、というのを繰り返した揚句にレジへ行く羽目になった本は、いしいしんじの「ぶらんこ乗り」だった。
買うときは気づかなかったのだけど、表紙が刺繍でかわいらしい。


カフェでそれを読みながら、母を待つことにしたのだけど、結局長く待たされたため読了してしまった。


いしいしんじ、というそのひらがなの筆者の名前のやわらかさとおんなじで、やわらかい感じのする小説だった。表紙裏の解説(これは書く人の才能がバラバラだ。君本当にこれ読んで書いた?って思うときもあるし、そんな文章を載せると売れないと思うけどな、という時もある。)に、「愛おしい」という表現があったけれど、うん、そんな感じ。キレキレな作品も格好良くていいのだけど、こういうのもいいなあと思った次第。
作品中にいくつかのお話がでてくるのだけど、「うたうゆうびんはいたつ」というのがいい。


帰る途中で、八百屋に寄って、バナナを一房と、トマトを買った。

帰ったら、祖母がリラークススタイルで(つまり寝ころんでテレビを見ていて)、父が帰ってきて、母と一緒に夕食の支度をした。
庭でとれたゴーヤーを使ったゴーヤーチャンプルーだ。今年はもう7本くらいとっていて、今は大小15個くらいの実がなっている。そんなに一度には食べきれないので、結局余所に差し上げることになる。
昨日焼いたスコーンでコーヒーを飲んで、野球を見ていたら、越智が9回表で登板し、1-0で勝っていたものを2ラン2本被弾の1-4に逆転されて、ゴンザレスが真顔で落ち込んでいるのを横目に、今日もやってくれたぜと、思いながら交代の雰囲気になったので切り上げて今に至る。まあ、一人は鳥谷だからいいか。


日記だぜ。

July 14, 2009

もしも僕らの言葉が火曜だったなら

で、火曜である。

火曜といえば、火サスこと火曜サスペンス劇場かなと思うけど、私は火サスについて語るべき何をももたない。火サスと赤坂サカスが似ているということくらいしか思い浮かばない。そもそも火サスの類は私と親和性がない。共通点もないし好みも違う。今回は残念ながらご縁がなかったということである。あ、トラウマ。

火曜といえば、昔はサザエさんがやっていた。
何を隠そう、私は「火曜日のサザエさんを忘れない」というコミュニティに属している。mixiで。
このコミュニティに入った唯一のメリットは、火曜日のサザエさんを忘れずにいられることであり、そういうのは大事なことだと思う。火曜日にも、サザエさんは、やっていた。

そして日曜版サザエさんとはちょっと違う設定になっていて、まずお隣さんが違った。いささか先生ではなかった。よくわかんないおじさんとおばさんだった、はずだ。お隣が違うってのはどういうことだと思うけれども、きっと、善意解釈すれば、逆側のお隣さんが出てきていたということなのだろう。もしくは、日曜のサザエさんと火曜のサザエさんは実はまったく別の番組で、極度に似通っていただけなのかもしれない。または、ifもしものように、お隣さんが違った場合の場合分け、別パターンを放映していたのかもしれない。

火曜日のパラレルワールド。

働く人にとっては、なんだまだ火曜かよ、という日である。
まだちょっと元気である。

追記:火曜のサザエさんは、昔の日曜のサザエさんの再放送で、かつ隣人が違ったのは引越したからだそうである。なんだ。

July 13, 2009

月曜について何かが書けないということ

月曜日である。

月曜というのは、一般的に憂鬱な日で、学校なり仕事なり、一週間の苦行が始まる最初の日、土日のリラークス気分から無理矢理に社会復帰させられるリハビリテーションの日であるけれども、私個人に関しては、一番ゆっくりできる日である。
月曜は、皆出払っており(月曜以外は毎日誰かしらいる)、来客の予定も、人と会う予定もない。たまに歯医者の予約が入ることもあるが、それはまあ散歩のついでに口を開いてみるというくらいのもので、そんなに気にしていない。

それで、思う存分に読書なり勉強なりブログなりに没頭することができるというわけである。

それで今日の月曜はブログに挑戦してみむとしたが、結局「風の歌を聴け」やら「バーボン・ストリート」やらの傍らにあった文庫に手を伸ばし、この時刻(11時半)に至る。
結局、「バーボン・ストリート」はほぼ読了したのだけど、ふむ、という感じである。


にしても、月曜日。
会社にいた頃は、リハビリテーションの月曜日だというのに、他の日よりも出社時刻が一時間早くなっていて(そして入社して最初の月曜はそれを知らされておらず遅刻した)、憂鬱度は最大値を振り切っていた。
しかも、その会社は教育的配慮を欠かさない会社だったので、毎月一度、月曜の午前中を全部使って月次報告会をやっていた。プレゼンテーションの練習として、下っ端まで全社員が自分で作成したパワポで報告をしていて、その練習のために土日出なさいとか社長室に呼び出されて言われるなど(出勤したか否かは入口の指紋認証で明らかになってしまう仕組みであった)、学校?という感じだった。
そういうのは、まあ必要といえば必要なんだけれども、毎月やるこたない。ていうか、毎月のはGMとかだけがやったらいい。そういうことやってるから仕事が毎日終電まで終わらないし、というか終電まで残っても終わらないし、クオリティも下がる。

そんな月曜の憂鬱から解放されたことは素直に喜ばしい。


月曜ってのは、月か、と思う。
月は近い。よく見える。身近な天体。かぐや。
この前見たテレビで、月に宇宙人の基地が既に建設されていることはよく知られていますが、と、たま出版の社長が言っていて(ああいうのの研究家を集めて、たけしとか大竹まこととか諸々の人々がつっこんで遊ぶという体の番組だった)、どこまでもスライドしていく議論と無理矢理みんなの共通認識として置く前提に、感銘すら覚えた。
それはいつかオープン講座(学部や学年が入り乱れた大学の講義)「あなたは亡命しますか」で行われていた議論を思い起こさせた。まったく、ひどい議論だった。
完全に授業の名前で履修してしまった。しかも優だった。私は亡命しない、今のところ。

で、月曜ね。ふむ。


村上春樹は言っている。
「しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。」

July 12, 2009

ゆく川の流れは絶えずして

遂に、ホームベーカリーが我が家にも導入された。クレジットカードのポイントがたまったので、交換したのだ。

ホームベーカリーというのは、読んで字の如く、ホームにおいてベーカリー的な仕事をしてくれる機械である。クックパッドでパンのレシピを見ていると、HBとか書かれているあれである。最初みた時は鉛筆の芯のやわらかさかと思った。
クックパッドを見ている限りでは、「こね」の工程を彼、HBに任せることによって世間の主婦は楽しているらしい、まったくけしからんけしからん、と思っていた。パン作りの大変さは「こね」にあるというのに、その醍醐味をHBなんかに譲ってよいものか。

まあしかしだ。
パン作りというのは時間がかかる。発酵が2回くらい必要で、しかもさせすぎると逆にふくらみが悪くなるという困った手間のかかる子なので、あんまり目を離せないのに、トータル4時間とか5時間とかかかってしまうのである。つまり、その時間気が抜けない。
ホームベーカリーはその「こね」「発酵」「焼き」の全工程を材料を入れておくだけで全自動でやってくれるために、つきっきりでいる必要がないのだ。4時間くらい放置して、ピーと鳴ったら出来上がっている、夢のような機械。

HBが来た日にはケーキを作っていたため(母の誕生日だった)断念し、その次の日は買ったパンがまただくさんあるというので止められ、こつこつ消費していたところ、今日は母が更にパンを買ってくるという暴挙に出たため断念せざるを得なかった。まったく、私にパンを作らせまい、県内トップシェアは譲るまい、としているのだろうかと勘ぐるのも無理はなかろう。
そんなわけで、未だ彼の仕事を見ていない。


そして、世間の主婦の皆さんのように、パンをこねるという人間の営みを機械化する方向に、我が家の時代も移り変わってゆく。
さびしいことだ。

そういえば、永い人が、パン作りをやめたんなら、次は何を作ってるんですか?という質問を何度もしてきたので、後半は無視したなあということを思い出した。私に一体何を求めているのかしら。彼の中の私は何職人かを目指しているのかしら。
永い人は声が大きいので、普段はうるさいのだけど、船に乗っていてエンジン音がうるさいところでは聞こえやすくていい。でも同じ話を何回もされるのには閉口する。まあ、永い人の話は、もういいや。


最近書くことがなくて。
無感動の日々、再びである。
パンでも作るよりほかに、ない。こともないけど。

July 9, 2009

夏の或る日

病院からの帰り、散歩がてら歩いた。

団地は、かつての団地ではなくなっていた。
団地は新しい真っ白なペンキで途中まで塗られているところだった。本当に途中までで、右の壁だけ、とか、真ん中の壁だけ、とか、それで、まだらというか、いかにも興醒めのする色合いで。勝手に人のうちのことで興にのったりしている方が明らかに悪いのだけど、まあそんな感じで。とても残念だったのだった。


最近外に出たり座間味に行ったりして思うのだけど、まあ沖縄の明るさといったらない。日差しが強いので、道路までが白く輝いていたりする。真紅のハイビスカスとその濃い緑が映えるったらない。沖縄に行くなら冬、と冬もおすすめしていたのだけど(全然あったかいから)、あと春もおすすめしていたのだけど(花粉がない)、夏が断然いいかもしれない。海がきれいだし。

最近写真を撮っていて思ったのだけど、物事というのはコントラストだなあと思う。写真でとらえる何かにしたって、音にしたって、感情にしたって、まあ何にしたって、そうだと思う。換言するならば、「相対的な問題」。何かは何かとの対比でないととらえられないということ。そうして、そのコントラストにいくつ気づけるか、どういう違いなのかに気づけるかというのは、大切なことなんじゃないかしら、と思う。まあこれも好みの問題。私はそういうのが、好きだ。


じりじりと肌の焼ける感じというのはきっと誰しも経験したことがあって、それってそんなに嫌なものでもなくて。火傷になるのは痛いからよくないけれど、ある程度焼けるのは私は結構好きだ。そもそもの色が白くないってのもある(だから失うものがない)し、焼き色ってのは香ばしい感じがする。焼いたものが好きだからだろうか。
早慶戦なんかは屋根がないところだと大分焼けてしまうのだけど、ビールとかチアにうつつをぬかさず日焼け止めを塗っていればあんまり焼けない。けど、焼けなかった時は少し寂しい気がしてしまう。せっかくあんなに太陽の下で楽しんだのに、その証が全然残っていない気がして。

そうやって今日は日傘を持っていたのに差さずに(母に渡されたのだけど、日傘を差したことがないので、雨が降っていない道をどんな顔をして差せばいいのかわからないのだった)歩いていたら、焼けてしまった、当然の焼き色。


ああ、そういえば、今日はその後、31アイスクリームを食べに行った。
31アイスクリームのすごいところは、31種類あまりも味があるのに、3つくらいしか好きなやつがないからすぐ選べてしまうところだ。
夏は、アイスがうまいってところもいい。

July 8, 2009

読んでない

安達さんから、「1Q84読んだ?」というメールが来た。
結局まだ買っていない。

春樹ならまだ読んでいないものもたくさんあるし、咀嚼しきれてないしなあとか思っていたので、ねじまき鳥でも次は読まむ、と思っていたのだが、安達さん曰く、「とりあえず読んでみなよ。ベストセラーとか古典って読む前からいろんな人の評価が入ってきて変に先入観もっちゃうしさあ、そういうのって邪魔でしょう」だそうで、確かに、なんて思った。


で、結局「海辺のカフカ」の話をしたりして。なんというか、いろんな見方があって面白い。
春樹作品について人が語る時、その人の性質が出てくる気がする。どういう楽しみ方をしているのか(あるいはしていないのか)、何がどういいのか(あるいは悪いのか)、あの説明が不十分なままに置いて行かれるやり方をどう思うのか、みたいな。
どの作家の作品にせよ、まあそうなのだけど。

何かの文学作品を好きだというときというのは、何かの音楽が好きだとか、絵が好きだとか、場所が人が好きだとかいうよりも、気恥かしいような、さらけ出してしまうような、告白してしまうような、そんな感じがある。文学ってものが、内面のものだからだろう。それに肯定の評価を加えるにしろ否定の評価を加えるにしろ、とにかく浮き上がらせる。文章で露わにする。あられもない、と思う。


そして結局、安達さんとまともにできる話題は、本なんだなあと思う。でも今までそんな人はいなかった。話題が本だけなんて。
彼とは本のことでしかメールが続かないし、多分会話も続かない。で、共通話題が本だったとしても、楽しみ方というか、読み方が幾分違う気はしている。
私はなんというか、最近シリアスすぎるのだと思う。今までがあまりに軽かった分、これじゃあ作家に失礼だとか、勿体なかったとか、つまり反動。しばらくしたら落ち着くだろうけど、まあ、好みの問題だ。
安達さんは軽やかに、でも深いところを横目で見つつ、楽しんでいる感じがする。

人と仲良くなるときには、どうしても共通言語みたいなものが必要だと思う。わかり合う瞬間とか語り口だとかそういったもので合わせる、同じ波長で喋れるというか、会話の次元が同じというか、なんかそういうの。信頼のようなもの。そういうとき、言葉は自分の意図した意味で相手に届くし、逆もそうなる。
それを合わせるのに大変な人もいるし(もう全然合わなくてさじを投げることもよくあるし)、すぐに合う人もいる。
で、この人とは是非とも合わせたいと思う人もいるし、そうでもないって人もいる。前者に関してはほぼ直感で、この人と仲良くなりたい、会話をしてみたい、と思う。その時、なんでその人なのかはよくわからない。

話が結構それたな。
結局は、さっさと1Q84、ということかな。

July 3, 2009

比嘉先生の覚書

小学校の頃、比嘉先生という先生がいた。

5年生の時の担任で、男の先生で、メガネをかけ、ずんぐりむっくりした体格で、字が汚く(書き順をたまに間違って生徒から指摘を受けた)、算数とサッカーが好きだった。
私はそれまで算数がそんなに好きじゃなかったのだけど、先生に出会ってから好きになった。先生のことが好きで、算数を好きになった部分も大きかったと思う。

先生は、少し粗雑な人だったけれどものすごく情に厚かった。


自分たちで計画を立てたらキャンプに連れてってやる、と、本当に休日返上で5人くらいの生徒をキャンプに連れて行ってくれた。2,3グループは行ったと思う。私たちは先生自慢の三菱パジェロに乗って、北部の芝生の生い茂ったキャンプ場で、テントを張り、薪をくべ、料理をし(たしか串焼き)、夜は懐中電灯片手にハブに気をつけながらおそるおそるトイレに行き、キャンプを楽しんだ。

放課後は学校の花壇の手入れをよくやっていた。男の先生は少ないので、小学校ではどうしても男の先生が力仕事を担うことになる。彼はこれを「作業」と言った。この「作業」、つまり土を運んだり、鉢やプランターを運んだりするのを手伝うと、たまに先生がジュースをおごってくれたり、食べ放題の焼肉に連れて行ってくれたりするのだった。

先生はまた、生徒を使うのがとても上手だった。生徒が自然に集まってくる人で、だんだん先生のマッサージ大会が毎日のように放課後開催されることになった。ある子は先生の腰を踏み(たまに日頃の恨みを込めて踏み)、ある子は肩を揉み、ある子は足の裏を踏む、といった具合に。
今考えると、よかったのかしらって思うけど(今だったら問題視されるかもしれない)、昔はゆるかったので、そういう具合だった。それに、子どもたちは先生が好きだったので、自然とそうしていたのだった。で、私はそこで指圧が得意になった(今もそのスキルは生きていて、家族に活用されている)。


たまに、学活の時間だろうか、箱の中身を当てるゲーム、的なものをやった。
クッキーか何かの空き箱の中に、いつも違うものが入っている。2,300円の安いものが多かった。
最初に先生が箱を振ってみる。その音が第1ヒントだ。「家にあるもの?」とか、「台所にあるもの?」とか、生徒が質問していって、最終的に分かった人が手を挙げて答えを言う。正解するとそれをもらえる。私も赤いチェックのなべつかみと、けろけろけろっぴの(!)ドアノブカバーをもらった覚えがある。なべつかみはまだ家にある。
これがやけに楽しくって、当てた日なんかは軽くヒーローで、もらったのはなべつかみなのにもうルンルンなのである。母に報告すると、喜んでくれたけど、なべつかみなのにそんなに嬉しいのかしら、という不思議そうな顔もしていた。


また、日記を書いて一人ずつ発表させる、というのがあった。
文才のある子や、面白い子なんかがこの時はヒーローだった。落とし方がうまい!っていう子がいて、その子の日記は評判だった。「あとはご想像にお任せします」とかいうのが少し流行った。


今思えばだけど、先生はいろんな子が活躍できるように、いろんな場を作ってくれていたんだなと思う。それと同時に、そのとき出来ない子へのフォローも忘れなかった。どこかの場面では必ず褒めた。それは子どもを一人ひとりじっくり見ていなければできないことだし、情熱がなければ出来ないことだろうと思う。子どもの目から見る限り、先生は心から楽しんで私たちに接してくれていたし、信頼してくれていた。こういうのを天職というのだろうなと思う。
もしかしたら、今まで出会ってきた先生たちの中で、一番影響を受けた、一番好きだった先生かもしれない。15年も前のことなのにこんなに覚えているなんて、結構驚きである。

そういえば、先生はグッピーが好きだった。家でたくさん水槽に飼っていて、ペット屋からかけあわせを頼まれるほどだったと言っていた。うちには水槽が沢山あって、母親がよくにやにや水槽を見ている俺を見て心配してるんだ、と言っていた。
また、先生は涙もろかった。ほたるの墓を観たときは誰より先に泣いた。冷やかすと、あれは悲しいだろ!と頭をはたかれたのを覚えている。

先生は、私たちのクラスを持ったあと、急に離島に転勤してしまった。先生が希望したらしく(それは先生らしい理由だったのだけど)、私たちはとても悲しかった。

卒業後も少し交流はあって、自分がその島で釣ったマグロのブロックを送ってくれたこともあった。ワイルド。
いつからか、連絡は途絶えてしまったのだけど。

今どこにいるのだろうな、と思っていたら、ちょっと前に新聞のwebサイトで名前を見かけた。まだ離島で教員をやっているみたいだ。いつか会いに行きたい。

July 1, 2009

純然たる呟き

なんか暑いなーと思っていたら、7月だった。
そんな話は全く聞いていなかったので、寝耳に水もいいところだった。

そういえばやけに空が青い。そうかこれは夏の青さか。
綿みてえな白い雲が、ぽっかり、ぽっかり流れていき、桃の花が咲き、桜が咲き、そいから早咲きのりんごの花っ子が咲く頃は、おらたちの一番楽しい季節だなや、なんて思っていた。りんごの花っていつ咲くのかしら。
(参照:リンゴ追分/美空ひばり)


そんなわけで、ベランダで、青い青い空と「綿みてえな白い雲」が形を変えゆく様に見とれていたら、顔がどんどん焼けていくことに気づいたりして、そんなこと気にしてられっかい、こちとら沖縄っ子でい、的なそんな日常である。
前にも書いた気がするけど、高校の頃、紫外線とか環境問題に敏感な生物の先生がいて、太陽には極力当たるなみたいなことを言われていたのだけど、そんなときに、友達が、「でもさ、太陽から隠れて生きるより、太陽いっぱい浴びて早く死んだ方がいいな」と言ったのを結構覚えていて。

そういえば、父の日にみんなで力を合わせてデジカメを買ってあげたのだが、今のところ使える(時間と能力がある)のは私だけみたいなので、ゴーヤーの空へのびる様子だとか、空のじんわり変化する様子なんかをおさめている。お陰で私はほとんど写っていない。
雲が流れるのを見ると、決まってBrian Enoの1/1が頭の中で流れている。
雲は本当に真っ白できれいだ。光る青によく映える。


で、こういう日常を送っていると、素敵なのだけど、いろいろと駄目だ。

何がどう駄目かというのは、まあ、いろいろあるのだけど、まず、会話量が8割くらい減である。
これの何が駄目なのかというと、会話による脳の緊張とか活性化がなくて、いつもぼんやりしているということになり、いざ人と会った時に言いたいことのほとんどを言えなくなってしまうというか、言いたいことすらよくわからないというか、別に言いたいこととかそんな無いな、みたいな感じになってしまう。で、更に会話量が減る。バッドなスパイラルである。
会話っていうのは考えることの糸口だったりもするから、考えなくなってると言ってもいい。
こういうのってなんかすごく勿体ない気がする。私は饒舌ってわけではないと思うけど、人と話すのは好きなので、そんなのは嫌なのである。せっかく人と話せるのに、自分も面白くないし、相手にも申し訳ない。あと、考えることも割に好きな方ではあると思うから、やっぱりよくない。ああよくない。


打開策としては、一つにブログを書くというのはあると思う。これはまあ一方的な独白ではあるけれども、一応考えているし、言葉にしている。何かしら考えたいっていう、何かしら言葉を紡いでいたいという切なる何かだと思う。今気づいた。
あとは雑談を定期的にするようにするとか。永い人がいる間に雑ろう。
あとは手紙なり電話なりを友人とするとか。人に会うようにするとか。
ふむ。

なんか、久々にもやっとしてきた。これは元気になったってことなんじゃなかろうか。As is!To be!