October 19, 2012

ペンディング

一連のツイートで普段だいたい思ってることは言えちゃっているのであんまり書くこと無いんだけど、あんまりああいうのばっかりツイートすると偉そうに見えるから、ブログで残りを書こうとおもう。

自分がすごく辛いなあという時期をすごした経験が良かったと思えるのは、今そういう状況のまっただ中にいる人の気持ちがいくらかでもわかるということと、割と中立的な立場から、つまり自己弁護ではない(まあ周りからそう見えるというだけだけど)立場から、その気持ちを言えるということだ。

以前はどちらかと言えば、すごいなぁと思う人たちの思考を観察したり、言っている言葉に感銘を受けたり、そういう人たちのそういう部分を少しでも取り入れたいとも思ったり、という方面にばかり関心があった。それは勿論それがかっこいいからだし、かっこいいものに惹かれるのは仕方がない。理由なんて無い。
勿論、今だってかっこいいなと思うし、なんだか新しいものを見れば興味は示す。

以前と変わってきたのは、そうじゃなくて、なんだかうまくいっていない人、悩みを持っている人、弱みを抱える人、まあそんなの程度問題で誰でもそうなんだけど、言い方を変えれば、そういうものに真っ向からぶつかってる人の気持ちの方に寄り添うことのほうにより関心がある。同情とも少し違う。なんというか、同士というか、辛そうだな、きついだろうなっていう気持ち。


単純に、誰かの事を考える余裕がそれまで無かっただけのことなのかもしれない。
自分の抱える問題でいっぱいいっぱいで、自分をどう解決するかばかりを考えていた気がする。私はどうしたいのか、どういう能力があって又は無くて、どういうビジョンがありえて、世界の中でどの位置にいればよくて、どの方向に力を注げばいいのか、そういうこと。
そういうのを考えて考えて能力の許す限り考えた痕跡が前のブログだ。

そして、それらの問いに答えが出たかというと、出なかった。

答えは自分の中には無かった。
厳密には、答えは「動いていない」自分の中には無かった。
多分、答えは動きの中にある。生きている、動いているその軌跡の中に、そこで発生する感情とか出来事の中にちらちらと、ある。
でもそれを体系化して、ひとつの原則として圧縮して抽象化して、「これが真理です」と言ったとしても、誰かがそれを本当の意味で理解するためには、実際に動いて経験するという解凍作業がこれまた人生の長い時間をかけてかかる。

こういう話を書くと、「こころ」の一節を思い出す。
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「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
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上で書いた、昔はかっこいい人に憧れてそれを追ってわくわくしていたのが今はそうではなくうまくいっていない方に寄り添いたいと思う、という話は、実は同じものを違う角度で見ただけの話で。
私がかっこいいと思っていた人々は、その人柄や、知識の豊富さや、経験の豊かさや、技術の高さや、思想や、頭の良さが、かっこいいのだと思っていた。
でも多分、そうじゃなくて、そのありあまる能力を、掛け値なしに誰か行き詰まっている人のために使っているから、かっこいいのだった。
誰も味方がいない、言葉の通じない外国人の被告人のために。震災の被災者のために。派遣切りにあった人のために。いじめにあっている子どものために。

私の意識が、その人達をかっこいいと思う方ではなく、その人達を突き動かしている対象へ移動したのは、至極当然といえる。私の能力でできることはたかが知れているとはいえ。
とりあえず、無理やりまとめると、いろんな問題はそこら中にあるんだけど、その全てをペンディングにして出来ること少しずつやっているとちょっとずつ答えをチラ見せしてくれる人生って楽しいなと思う。

まあ、マクロで見るとね。

September 27, 2012

happy

先日、院の友人の結婚パーティーというか二次会が船上であった。
その友人とはFacebookではつながっているものの、卒業後つまり5年くらい会っていない子で、しかもこの結婚は2回目だったわけだけど、えびーさんが行くというので一緒にクルージングに行くと思えばいいか、ということで行ってみたのだった。

案の定船上は人であふれかえっていた。新郎新婦が弁護士と公認会計士ということもあり、同世代の割と成功している感じの人々が無難なスーツを着こなして知り合い同士で盛り上がっていた。フリードリンクのカウンターには列ができ、バイキングの料理には披露宴でも食べただろうに、わらわらと皿を持って料理の前に並ぶ人の群れ。

船上はすべて、ほとんどあらゆるものがパーティー的だった。パーティー的人々。パーティー的ドレスコード。パーティー的会話。パーティー的音楽。 パーティー的照明。パーティー的料理。パーティー的酒臭さ。
パーティー的でないのは、外の海と、空と、ビル群と、給仕バイトの高校生ライクな男の子くらいだった。

 その日は、新郎がわりとちゃんとCDも出してるレゲエバンドをやっているということで、レゲエの人々も船に乗り合わせ、新郎も参加したライブ・パフォーマンスが行われた。
レゲエに三木道三や湘南乃風のイメージがこびりついていた私は(ちなみに、私は歌詞の中で女性を「お前」と呼び、薄っぺらい恋愛描写をドヤ顔で歌うレゲエが嫌いだ)、レゲエとかやだなと思っていたのだけれど。ちなみにその他のレゲエはBig Mountainの有名な曲くらいしか知らない。
いざ演奏が始まってみたら、その演奏のハッピーさ。フルートがバリうまだったのも大きな要因だったけれど、とにかくトリを務めたシンガー(50代と思料される男性)のプロフェッショナルなまでのハッピーさが、格好よかったのだった。歌を愛し、音楽を酸素のように自分の身体にとりこみ、けなげなまでにハッピーであろうとする泣きたくなるような人生賛美。この音楽が、この音楽をやり続けているという事実が、その人の「生き方」なんだなと思った。ハッピーであること、ハッピーを見ている人たちに分けることを優先順位の1番に持ってきている感じ。
ほんとに、音楽は愛だぜ。と思った。
全く新郎のこと知らないけど、こんな世界で生きてる人なら、新婦である友人も幸せになるなぁと思った。

パーティー的何もかもが肌に合わないと思っていたのに、そのライブですっかり気を取り直して、新婦に最後に「おめでとう」と素直に言えた。よかったなーと思った。

ちなみに、夜の台場、コンテナ置き場、きりん、レインボーブリッジを始め橋の裏側、は高まりました。


September 13, 2012

近況120912

最近の 「お」 は、やはりこれ。


テレビでたまたま見ていたバラエティー番組で、出てきたフランスの双子。超クールである。巻き戻し映像をダンスで再現するあたりセンスある。むちゃくちゃ上手い。
おまけに音楽もかっこいいし、音に合わせた動きがほんとにツボる。
なぜかこの冒頭と最後に使われてる曲が頭から離れなくなっちゃったんで、探してみたらiTunesにあった。Ants/eDIT。まあ、某tubeにももちろんあるわけだけど、まあまあ。

iTunesでその曲を聴くと、これを購入したリスナーはこんな曲も云々、スマートなプログラムとスマートでない日本語で隣接したアーティストの曲を教えてくれるわけだけど、それで出てきたのが奇しくも先日のエントリで貼ったAudiのCM曲、Lobegrinder/Boreta だったので完璧に読まれてるなーと感心したのでそれも購入した。

エレグラが楽しみ。

そういえば、バタバタしててSonar Sound Tokyoの振り返りをしていなかったけど、聴いたのは
Ryoichi Kurokawa
Dorian Concept
Ken Ishii presents Metropolitan Harmonic Formulas
Keiichiro Shibuya + Takashi Ikegami
Clark
Squarepusher
Africa Hitech
でした。合間にKYOKAもちらっと聴いたかも。
ほぼメインフロアにいたんだけど、メインフロアは本当に全部良かった。けど一番のHITがSquarepusherおじさんだった。Playの前にわしゃわしゃと前に集まってきた人たちの中のひとりが「がんばれー」とか言ってて笑った。
Ryoichi Kurokawaは映像がやばかっこよく、Clarkは煽るくせに焦らしまくり、Ken Ishiiは安定のケン・イシイで。 渋谷さんもよかったけど、確かにああいう場所では踊れたほうが面白いわ。Africa HitechはVJがほんとゆるくて、音はかっこいいのに映像は愛犬のスライドショー。

旦那さんことニシカワ君がものすごく楽しそうに踊ってて、ニシカワ君の会社の先輩が「ニシカワ、いい顔してんなぁ」って目を細めて(多分)言ってたので、音楽は愛だなと思いました。

August 6, 2012

テマヒマ展

テマヒマ展へ行ってきた。
http://www.2121designsight.jp/program/temahima/

東京は六本木、ミッドタウン敷地内の21_21designsightでの展示。
森美術館ではアラブ・エクスプレス展をやっている中、こちらは東北の食と住にスポットを当てたものすごく堅実な展示だ。

展示自体は至ってシンプルで、基本的には7本のショートムービーと、55個に及ぶ現物の展示という構成。
それなのに、ものすごくよかった。
まずムービー。絵の録り方のセンス、音楽、ものすごくバランスがいい。
リンク先の映像を見てもらえばすぐにわかると思う。
そして現物の展示。本当に展示の仕方がものすごくうまい。展示物の並べ方、照明、配布物。
ただ東北の人たちが日常的に使っているもの、食べているものを並べただけなのに、その細部に宿った美に気づき、それをしっかり来場者に伝えることができている。
だって、イワナの縄で吊るされたものや凍み大根のぶら下がっているのすら美しいのである。(同じことをNHK教育の「デザインあ」でも思う。)

もちろん、その対象自体に美しさが内在しているのは大前提である。それにしても人間が具体的にどのように暮らしているのかを目の当たりにするということが、いかに心を打つかということを思うのである。

今回は「東北の食と住」がテーマだったのであって、もちろん横展開しようと思えばできるわけだけれど、もしかしたらその地域ごとに見せ方、見せるものというのは変わっていいものなのかもしれないと思った。もし地元を見せるとしたら、最も美しく、それを最も効果的な方法で見せる方法は何か、というのを考えるのは何かのとっかかりになるかもしれないと思う。


July 19, 2012

最近の読書事情

最近読んだ本は、既にツイート済だけれど、三浦しをん「舟を編む」と、誰だったか忘れたけど「彼女は存在しない」。
前者は良くて、後者はそうでもなかった。
まあ、好感度の問題だ。
私は筋ばかりを追って表現を雑にする作家が好きではない。言葉に対する敬意を払わずして作家を名乗るとかまじ。
そういう意味で基本がしっかりしていて、その上にちゃんとしたストーリーが乗っていて、というのであればとてもいい。そうした意味で「舟を編む」は優等生的作品であった。そうだな、優等生的だ。とてもバランスの良く、丁寧で愛に満ちた(時にギーク気味に)小説。
他に、元新聞記者のやつ、横山秀夫とか山崎豊子とかはものすごく文章がしっかりしていて無駄がない上にストーリーがダイナミックでドラマティックでリアルだと思う。色気には少し欠けるし無粋なところもあるかもしれないけれど、単純にぐいぐい読ませる手腕というのはすごい。
所謂明治大正昭和の、刹那的でとんがっていて折れそうでウェットな文学とは全然違う。
時代は変わったのだなと思う。
何故今ウェットな小説家が出てこないのか不思議だ。高等遊民がいなくなり一億層中流、バブル崩壊後の口に糊するのでやっと、な時代にウェットに小説を書いているようなメンタリティでは皆なくなったからかもしれぬ。
今思ったけど、ウェットって言葉便利だな。

私は芥川賞とか直木賞はほとんど読まない。読めばいいのに、と今回思った。ただ、私はまだいわゆる文学作品をまだ全然読んでいないから、どうしても最近のは後回しになるだけのことなのだ、多分。いや確かに、少なからず、見知らぬ馬の骨的小説にハードカバーの代金を払う気になれなかったのは確かだ。
 でもまだ芥川を読んでいない。漱石を、賢治を、安吾を、春樹を、まだまだたくさん、読んでいない。

で、最近私は、坂本慎太郎に小説が書けたなら、芥川の域に手が届くんじゃないかと密かに思っている。

次何読もうかしら。



June 27, 2012

目黒・学芸大学

ぶらり街歩き、などというテレ東でずっとやっていそうなラベルが、このブログにも実はありました。なんて懐かしいのかしら。

中野でトランペットを聴いた思い出をツイートしたら、思い出したのだった。

ラベルの貼られた4件のエントリを見ると、 どうやら住んでいた場所を時系列と逆にたどっているようです。懐古趣味上等とか言っています。私です。
結局それは鷺ノ宮で止まっていて、残すところあとは上京1年目に住んだ下目黒。



大きな地図で見る

寮のようなところに住んでいた。大学へは寮の前のバス停から出ているバスでJR目黒駅まで行って、山手線で高田馬場、からのまた学バスで早稲田、というルートで通学していた。実際の最寄り駅は東横線の学芸大学だったのだが、通学にはバスの方が便利で。
門限が10時で、1次会もそこそこに帰らなければならなかったうえ、バイトすればかるく門限破ってしまうので、2年目には早々に鷺ノ宮へ越したのだったが、最初の下宿先としては良かったような気がする。寮は全然皆フレンドリーではなく、誰もラウンジでおしゃべりなどしていなかった。
とてもドライで、孤独で、それは意外と快適だった。所謂、都市の生活、のような気がした。寂しさを我慢したり対峙したりするのではなく、寂しさに親しみを感じるのが自然な振る舞いだということを得心したのはこの時期で。

大学、学部はとにかく人が多すぎた。し、私は広く浅く顔見知りをつくりすぎた。
ただ、それは実際には仕方のないことだったように思う。
数撃ちゃ当たるの世界で、あんだけ人が多いと誰が自分と合うのか、親しくなりたいのか、わからない。とはいえ周りは新歓真最中、誰もがサークルに入りたがり、友達を作りたがっていた。今考えれば結構異常な状態だ。
じゃあいろんな人とちょっとずつ仲良くなってみればいいわけで。幸か不幸か、人材だけは潤沢。奇人も変人も凡人もいたと思うが、とにかく気取らない人ばかりで早稲田っぽかった。
オリエンテーションだけの友人もいたし、クラスで1年間だけの友人もいた。実際、今も週末に約束をしてまで会うその頃の友人はいない。
今となってはすべて結果論だ。まあ、いつでも肯定はしていたい。たとえ一人も気軽にメシ食う友人が残らなかったとしても、だ。
そういう日々の中で、私は目黒の自宅に戻ってひとりになるとほっとした。

学芸大の駅には商店街があって、そこにはやっと生活のようなものがあったので、そこへパンを買いに行ったり、東急ストアでそんなに重くないものを買って帰ったりした。自転車がやたらと止めてあり、その合間にドラッグストアのワゴンが置いてあり。ドトールや服屋や塾やクリーニング点に靴屋、八百屋、こういう商店街は沖縄には無い。沖縄にあるのは昔の市場のようなものと、大型ショッピングモールだ。
それで、家と商店街を行き来する道の途中に、ものすごく古ぼけたださいホテルがあり、そこはまったくひなびたところで、今調べたら、「ニュー目黒」という1969年に建てられたホテルだった。2001年、ミレニアムも海も超えた私の目にもはや「ニュー」はかなり古ぼけて見えた。
レストランだけが辛うじて稼働しているようなホテルだった。一体ここまで来て誰がこんなホテルに好き好んで泊まるものか、という立地と外装のひどさだった。
そのホテルを横目に、冬の家路をゆっくり歩き、ああ、冬までやってこれた、というひとしおの。

しかし、数年後某Sony君に食事に誘われて再びそのあたりを訪れたとき。

 CLASKA

!!
である。まじおしゃれである。そこでフリットとかオーダーするSony君もまじおしゃれ。
デザイナーズホテル、というか、ギャラリーも屋上のテラスもいろいろアート的側面を強化しまくった、昔と別の意味で下目黒で浮いた場所になっていた。いやかなりおしゃれ。つまり、ニュー目黒をリノベーションして云々というやつ。
客室の値段も料理の値段もそこそこするが、外国人の宿泊客が多いようだった。鄭秀和 a.k.a テイ・トウワの弟がプロデュースしているらしい。

そういう場所になったようで、わが上京の地。東京は変わりゆくなあと思う。

これでひとまず、ぶらり街歩き@Tokyoはルーツを辿り終わった。
気が向いたらまた書きます。東京のいろんな場所のこと。


June 24, 2012

若さ(bottleneck)

ひょんなことで、昔のブログを読み返した。
ちなみにこのブログの適当な場所に「思い出」として貼ってある。
文体や状態は随分変わった気がする。ただ、紛れもなく私である。

先日、ダッカから友人が一時帰国した。
それを機に、普段会っていない院の友人たちとも集まったりして。
有楽町での最近どうなの的女子会的イタリアン飲みからの、ゲストがラストオーダー後に到着的事情による高架下・道路にテーブルの割に高めの店的二次会にて、例のごとく一周回ってるとか回ってないとか螺旋とかの抽象的会話をクラウド的に浮かべつつ。

みんな院の頃と変わらないようで、でも決定的に違うんだろうなとも思う。
うれしいのやら寂しいのやら安心したのやらわからないけれど、なんだか泣きたい気持ちになって、それで帰り道にアジカンを聴いてしまったわけだ。


最近わかってきたことは、年齢が若いということによるハンデは、ものすごくあるということだ。
これは経験が無いということではない。
ただ「若い」というだけで、その人自身が見えない力でかなり抑圧されているということだ。

数年前の私と今の私では、まず見えてる範囲が違う。
時間によって醸成された自信の層の厚さが違う(まあ今もそんなに厚くはない)。
度胸が違う(昔はBig issueをホームレスの人から買えなかったし、所謂おじさんばかりの蕎麦屋にも一人で入れなかった)。
見えてる範囲の話とかぶるけれど、着地点の見定め方が違う(若いと、どこに着地していいのかわからない。あまりに浅いところに着地してしまったら勿体無い気がするけれど、深いところは見えすらしない。むしろ、どっちが浅くて深いのかわからない場合もままある)。

院にいたころ、本当は全然そんなことないのに、みんな横並びかのように扱われていた。
その中で何もわからないことに悩んだ。できないことを年齢や経験のせいにしたくなかった。
今考えれば、できなかったのは全然普通のことだと思う。
まあその年齢や経験の格差をセンスでカバーする同級生はいただろうけど。

仕事をはじめてから、仕事ができる先輩や上司を見て落ち込んだり焦りそうになると、年齢のことを考えるようになった。
この人が今3個年上なのなら、3年後までにこの人レベルになってればいい、と思うように。
で、3年あれば越えるわそんなもん、と強気に思う。実はそういう性格なのである。

このタイミングでこういうのを書いたのは、同期に触発されて少なからず私の無駄に高いプライドが頭をもたげてきたからだが、ここでぐっとセーブするのが大人と心得たり。
衝動にかられると無駄に決断力を発揮するので、プライドにまかせて走り出したらまた骨折してしまう。持続可能な人生を。


June 10, 2012

Limit

大人になったなぁと思うとき、というトピックで、テレビの番組をやっていて。

コーヒーブラックで飲むとか、いろいろ出てたけど、どういう時かなーと考えてみた。

で、体力をセーブできるようになった時だなと思った。
まだやれるけど長期的に見てだめになりそうだから8割で仕事から帰るとか、まだ飲めるけどやめとくとか、まだ居たいけど睡眠時間考えて帰るとか、まだ考えられるけど休めるためにやめるとか。
そういうのは「まだやれるけど」とかでは本当はなくて、「まだやりたいけど」なのだ。
やりたいことを素直にやるのはすごく気持ちいいし、できればそれをずっとやっていたい。
でも、人には体力にリミットがあって。

私の好きなゲームで、「moon」というのがある。人生において多大な影響を受けた。
昔あったラブデリック(lovedelic)という会社の出したもので、このあと2作くらい確か作って解散し、それぞれのスタッフはバラバラに別の会社に行ったのだけれど、その行った先でも元ラブデリックの人が多めのプロジェクトで作ったりしたゲームを「ラブデ系」とか言ったりする。
ラブデ系ゲームには行動時間にリミットがある。お腹もすく。ゲームプレイ中に食べたり寝たりしなければならない。時間の概念があって、他の登場人物たちも夜は寝たり、ある曜日には飲みに行ったりする。プレイヤーはリミットを超えて活動を続けるとゲームオーバーになる。普通にFFとかのRPGをプレイしたあとラブデ系をプレイした時に、ああそうか、私たちってリミットのある身体で生きてるんだなあと思った。

リミットのある身体。時間的な。質量的な。システム的な。地球的な。
リミットを意識しないで生きてると、時間的リミットが来るずっと前の段階で体力的精神的リミットを迎え、折角の健康的(であるはずだった)身体をうまく使えずにじっと海の底で空を泳ぐ魚たちを羨む羽目になる。


しかし老けたな。

June 6, 2012

餃子を包む

咳が最近とまらず、文学的な気分になっているということは既にTwitterにて周知済みであるが、肺結核で亡くなった格好いい人の多いこと。一昔前までは日本人の死因の1位だったのだとか。
まあ、別に結核じゃない。

それで、仕事にも差し支えるので、今日は代休とって、近所のクリニック行って、薬をもらって、家で休んだり、餃子を包んだりしていた。

最近実家の母に癌が見つかって、術後の一ヶ月ほど身の回りの手伝いをしに帰郷していたのだけれど、それでちょっと疲れたみたいだ。 術後一週間くらいでは退院し、現在は経過観察中だが、あまり家と職場をあけるわけにもいかず、戻ってきた。家事って意外と体力使うので、無理して悪化させないか心配だが、まあでも概ねなんとかやっている様子。
こういうのをブログに書くのは苦手で。
 基本的に、「誰かの不幸せに 僕の涙はいらないから」という岸田繁の書いたように、ブログを見てくれている方に、無為にご心配をかけるというか、心配することを求めるようなことがしたくないのだと思う。

 それにしても、餃子。
 この前の週末に旦那さんと見た「トイレット」という映画に影響されている。「かもめ食堂」の流れだが、あれよりかなりPOPで観やすいしなかなかにいい映画なので、是非。
こういう作業はとてもおばあちゃん的だなと思う。さやいんげんの筋を取る、とか、もやしの根っこを取る、とか、うずら豆をさやから出す、とか、そういう、台所に立つのではなく椅子に座って内職のようにやる手仕事。
 出来合いの餃子がいくらでも売っているような時代に、家事に手間暇かけている感じ。
丁寧に、手早く、きれいに。しかもいま絶賛咳込み中なので、のどにハンカチを巻いている。ますますおばあちゃん的である。まだ、ねぎは巻いていない。

 で、餃子。
 薄い皮を手のひらにのせる。
 ボウルから具をスプーンですくって皮の中心より気持ち右側にのせる。
ちなみに具はむきえびの叩いたやつと鶏ひき肉とにんにくとごま油と醤油と片栗粉をそれぞれ適量まぜたものにした。
皮の縁に水をつける。
 一旦皿に置いて、右からひだを作りながら皮を閉じていく。
 破れがないか確認して皿に並べる。

こういうことをするとなんとなく、丁寧に生活しているような気がして。
 それでこうして真っ白なダッシュボードに向き合う気持ちになったのかもしれない。
 文章は、前の更新と間があけばあくほど書き出しにくくなる。どんな精神状態でどんな言葉をつむぐのが一番適当なのかということを掴みにいくのが遅くなるのである。

散漫だけれどやっと文章を書けた。
それに、最近わからなくなっていた自分が今聞きたい音楽を見つけ出すこともできるようになった。
今は、おはようまだやろう/ゆらゆら帝国 です。




餃子作ってよかったな。

April 20, 2012

haru

押し黙る季節。

沈黙ということ。
適した言葉を見つけることが出来ない。
そもそも言葉を発するのが適当でないと感じる。
何か言葉にした瞬間に後悔してしまう気がする。
本当はそうではない、と次の瞬間に言ってしまいそうな気がする。
そうした態度を見せることが一切正しくない気がする。

確かなものだけが手の中にあり。
それを握り締めている限り大丈夫。
そんな風に思う。そして押し黙っている。


「絶対」の脆さを測りながら拒んでいたこと。
椎名林檎の「ギブス」という曲をはじめて聴いたのは高校生の頃、理解したのが大学生の頃、腹落ちして自分自身の思考となりかけたのが院の頃、開放されたのが社会人1年目、手のひらに載せることが出来てきたのがここ最近。

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あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない
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「絶対」を信じたが、実は「絶対」が無いことを悟り、しかしその「絶対」を求め、さる後に「絶対」を諦め、「絶対」という概念自体を厭い、「絶対」という概念を意識的に忘れ、「絶対」という概念を思いつくという事象の方へ興味が移り、「絶対」は一概念としてつまり「信念」とか「快楽」とかそういったものと同じレベルまで落ちてきて、やっと「絶対」の呪縛から解放される。

そうして得たとても大切なかたまりを、かけがえのない確信を、私は「絶対」と呼ばずにおこう。

February 25, 2012

海の

今住んでいる場所は、風向きによって海の匂いがする日がある。
海が近いのだった。
その一点だけでも、私はこの場所が好きだと思う。(まだいろいろ好きな理由はあるのだ、徒歩5分圏内にスーパーが3つもあるとか、街灯が高速道路みたいでオレンジの水滴のようだとか、クリニックや薬局も至近だとか、バレンタインなんかに全然浮かれていないところとか。)

たとえば有楽町は、あんなに都会なのに、The GINZA!なのに海の匂いがすることがある。
全然海は見えないけれど、ここも海が近いのだなあと思っていた。
そのとき私は有楽町で乗り換えて通勤していた。ガード下の立ち飲み屋を横目に羨みながら電気の消えたヨドバシカメラの前を通って。電気の消えた本当は賑やかな場所を通るのはさびしいのと特別な感じと両方するけど、どちらにしても疲弊していて、海の匂いはとても物質的で本質的で地に足がついていて、虚業を忘れるのにとてもよかった。

海のあの有機的な匂いがすると、なぜだか、ああこれに飢えていた、という気がする。
沖縄にいたときに海の側に住んでいたわけでもないし、沖縄の海の匂いとはちょっと違っているのに。

有機的としかいいようのない、生き物の混在した匂い。そこに私たちのようにいきづくものものがいるという認識。私たちには侵食しえない別の世界。
土地がないからといって埋め立てはしても、水の中に住もうとはしなかったのだなと、人間の貪欲さからするとなんとなく不思議にも思う。

私の理解では、海は完全なるアウェーである。だからシュノーケリングもダイビングも、私はしかねる。あの中では何をされても文句は言えない。完全に違うルールで構築されている世界である。私は結構自然を畏怖しているな、そう考えると。だいたい、洗面器の水の量でも溺死できるという脆弱な人間ごときがさ。
でもその世界を眺めるのはとても好きだ。神は天の上にある水と下にある水とを分けられた。
全然中はフラットじゃないのにフラットみたいに見える水面。

週に一度、横浜地裁へおつかいにいくのだけれど、その度に海の方へ歩き出したい衝動をおさえる。横浜地裁から5分と歩かずに海があるのだ。もちろん海の匂いもする。曇りの日は冴え冴えする。
その気持ちは、前の会社で働いていた時にいつも有楽町で乗り換えるときに見える皇居の緑へ、地下鉄のボロくて狭い階段なんか降りずにずんずん歩いてしまいたい気持ちと似ている。

明日も海の匂いがしたら、会社帰りに寄ろうかな。

February 19, 2012

まる

ちょっと前に、院の面々の集まる新年会に顔を出し、そこである人の言った「一周回ってる」という概念を結構気に入ってしまっている。なんだか言い得て妙な感じがして。
曰く、人間にはいろんなタイプがいて、ある種の人々は、「回る」という部類に属するとのこと。お遍路のように。そうして、私やその他友人の一人は1周もう回っているとのこと。俺はまだ序盤とのこと。一周まわってるやつはなんかすげえとのこと。コンテンポラリーとモダンをひたすら間違えながらお話しになる。

そういう抽象レベルのイメージベースの話し方って結構好きだなあと思う。
誰々は~的だ、という文脈の中で、ある人は終末的だと評され、かつ宇宙飛行士だと評される、そのことがなんとなく共通認識として納得感ある、っていうのは面白いことだと思う。

例えば自分の今の状態を、そういうふうに、絵にできたら、問題の大半は片付いているのだろうと思う。何が問題なのかを説明できた時点でその問題はほぼ解決しているとの先達の言の如く。
でも実は問題を明らかにした所でどうしようもないこともたくさんある。



Then,don't worry about it.Life goes on.である。兎にも角にも知に働けば角が立ち、その角が削るのは自身であったり。
でも誰が何を言っても、隣に緑の草原が見えていても、枯野を引き回される牛の如く、枯野の中にひたすらほおずきの実を探す秋もある。


あたらしい二人があたらしい場所にあたたかな心であたたかな場所をつくれますように。

January 23, 2012

めがね

遅ればせながら、この前の日曜に、映画「めがね」を観て、感銘を受けました。

確実に見たことのある、植物たち。海岸。海。風の吹き方。絵のすすけ方。強烈な既視感。
なのに、沖縄ではない文化をそこに入り込ませている映画で。
シンプルだけど小洒落たペンション、手入れのされた器具の並ぶキッチン、そこで手際よく作られた料理。梅干しと卵焼きと味噌汁。煮崩れもせずきれいに火の通されたあずき。近藤さんちみたいなメルシー体操。
マンドリンの音色、標準語のイントネーション、日に焼けもせずこざっぱりとした身なりをした住人たち。そしてめがね。
沖縄の暑苦しさ、人々のむさくるしいほどの人懐っこさ(本当は勿論人によるけれど)、押し付けがましいようなこてこての民謡。そういうどうしても私の「沖縄」と絡み合っているイメージが、すぱっと切り離されて、場所としての沖縄が、洗練された嫌味のないなにかにつつましく彩られた生活としてそこにあって。

少し面白い絵とひたすらのたりのたりとした、でも輪郭のはっきりした軌跡をそれぞれの人と出来事が描いていくような作品だった。

アイデンティティとしての沖縄。場所としての。アイコンとしての。「沖縄」「オキナワ」「Okinawa」。外からの印象に合わせなければならないと思う内に多重人格化した混乱し分裂した精神。

最初に私にそれを示したのはCoccoだったと思う。沖縄に本当に棲息する人間の音楽だと思った。ストレートでダイレクトだった。か弱く、力強く、しなやかで、折れそうだった。矛盾を内包せざるを得ない場所で生きる子供のなれの果てだった。

かなしさとか可笑しさとか卑屈さのないまぜになった心で、カラ元気は健気にうつる。それは沖縄人にとって美徳であった。
外向きの沖縄は、正直気持ち悪い時すらあった。
民謡。かちゃーしー。方言。明るく、ゆいまーる。ハイビスカス。パイナップル。原色。華やか。楽園。媚びていやがる。冬の沖縄は大抵曇っている。いつも晴れなわけない。

私の反発は今につながっているのだろうと思う。
両親に対する反抗期は無かった。
だけれど、沖縄に対する反抗期はずっと続いているのかもしれない。
軽蔑、愛着、執着、郷愁、うざったさ、でも帰る場所はここであるという奇妙な納得感。

「めがね」は、私にとっては、そういう映画だった。監督の意図とは全く別だろうけれど。
沖縄なのに沖縄じゃない、全く違う価値観をふいに入れ込んで、回してみた。侵された気はしない。親しさすら感じる違和感。
私にとって実はめがねは洗練の象徴であった。知と洒落と機能の。

そういうわけで、めがねの人に、めがね買ってもらいました。

January 9, 2012

2012

2012になった。
0が一つ、1が一つ、2が二つ。いい字面。2で始まって2で終わる。私は2が好きである。
数字は0、1、2までがいい。落ち着いている。3が出てくると急にポップさが出てくる。動きが。

年末年始を沖縄で過ごした。実際は結構タイトな日程だったと思うのだけれど、こちらで過ごす時間の2倍くらい時間がゆっくり進んでいるようで、18時を過ぎても明るく、陽射しがあたたかく、風がゆっくり吹いていて、思わず誰もが目を細めて。
こんな時間の中で過ごしていたらだめになる、と思っていた数年前を思い出し、しかし今では、せめて家の中では時間をゆっくり進めたいと思っていたりもする。

身の丈にあった生活とは、別にお金のことだけじゃない。
時間の使い方だっていくらでも効率よくスピーディにやればいいってわけじゃあない。そりゃあ効率のいい人のほうが仕事では重宝されるしかっこ良くも見える。でも人それぞれの体内に適した時間を把握してコントロール出来る方が高度な能力のような気がする。
体力も、能力も、家庭の経済も然り。持続可能な生活、なんていつか流行ったLOHASかぶれな感じだけれど。

こんなこと言ってるけど、昔acceralateというブログをやっていましたすいません。
タイムマネジメント、というのはきゅうきゅうに詰め込むことではないのだ。
我余白を愛す。

いろいろ先のことを考えることはできるけれど、ここは元旦礼拝で示された言葉に依ろうと思う。
「だから、あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」マタイの福音書6章34節