January 11, 2015

2015

2015という数字は好きだ。自分の誕生日がそうだからか、1とか5とかが好きなのだ。
そうして私は誕生日が1月なので、年が明けるとまもなく年齢もひとつ繰り上がる。
自分の歳を鑑みて、いまだにこういう文章を書いて、かつてaccelerateとか言っていたのがうそみたいに停滞していて、どこからこんな風にシフトしたのだろうかと考える。

職場の有志で2014年のマイ・ベストな曲を持ち寄って匿名で聴き、投票するという催しをやったのだけれど、自分の2014年を象徴する曲があまりにも思い浮かばないくらい、2014年は散漫な年だった。
いろいろなことがあったのだろうけれど、すべてが日常に組み込まれてしまって均されてしまって、主観的には本当に、バラバラでまとまりがなくただ流れていった年だった。
一応客観的には転職をしたので、それに基づいて、坂本慎太郎の「君はそう決めた」を選んだけれど。


今日、というかもう日付変わったけれど、2001年から髪を切ってもらっている美容師の人に髪を切ってもらって、その帰りに2007年頃に行っていた中野新橋のジャズ喫茶に行って、2003年頃から読み始めた村上春樹の短編を読んで過ごして、すっかり遅くなって家に帰り着いた。
いずれも最初に触れた状況とは少しずつ変わっている(たとえば美容師さんは2回支店を移動したし、中野新橋の駅舎は若干新しくなっていたし、ジャズ喫茶はマスターのほかに若い男性店員が増えていたし、村上春樹については作風が少し大人っぽくなっている)けれど、いずれも本質的には変わらない人や場所やものであり、東京で過ごすうちに得てしまったこの感覚、つまり自分の見知った(信頼できる)ところが家の他にあるという感覚をくっきり意識することになった。
それは確かに私にとって東京で生きるうえで必要な感覚だったし、それを多分半ば意識的に収集していた。
そしてそれはすべて2013年より前に収集した人や場所やものだった。

2008年頃から急に減速して、ほぼ停止して、それは多分エンストで、焦ってエンジンをふかそうとして2年経って。
実際に2010年の終わり頃にエンジンはかかったのだけれど、そこから加速することはなかなか体力的にしんどくて、そうやってしんどいことを認めてゆっくり速度に乗ったところで、2013年、今まで助手席または後部座席に乗ってくれていた母がいなくなった。
そのあとはどういう風に運転しているのかよくわからない。なんとなく自分ひとりで適当に運転しているけれど、ただただ流れに乗っているだけで速度もわからない。ただ全部同じような景色にみえるから停滞しているように見える。
やたら時間だけが過ぎる。2015年になっても感慨も無いし、無論おめでたいとも思わない。
自分が何も考えなくなった、バカになったと思う。あらゆることへの対応は、反射と今までのストックの焼き直しを出しているだけだと知っている。

今書くまでわからなかったけれど、母がいなくなってから、多分私は思考することを止めている。
思考することは自分の内側をスキャンすることで、それは必然的に母の不在が私にどう影響しているかということに向き合うことだったからで、私にはそれが重すぎた。それをしながら仕事や生活をすることは不可能だった。
でも、このまま停滞していることを強く自覚しながら過ごすのも苦しくなってきた。
つっかえていることを少しずつ片付けなければならないだろうと思う。

書き始めた時は、こういう文章になるとは思っていなかった。
書かないと出てこなかった。
2015年は書こう。