April 9, 2010

10光年の独り言

「10歳違うということは 10光年離れているということだ」

というのをTumblrで見た。
成程成程、と思ったわけだが(バイト先とか)、でもふと、10歳下の人にそれを感じるのは実感をもって納得がいくけれど、上の人にはそれほどの距離を感じないということを思った。
いや、距離が無いわけではないし、実際同じだけ距離があるのかもしれない。
でも、年上の人には距離を感じない。距離というとあれか、心の隔たりのようなもの。受け入れてもらえないんじゃないかという恐怖があまりないというか。
まあ違う人もいるのかもしれないんだけど。私はそうだ。

多分それは、いつも未来を見ているから。上を見ているからなんじゃないかしらという思いつき。
年上の人のことはずっと見ていて、理解しようとする機会が多いというか。自分の未来を重ねたり、目標にしたり、なんだかんだでずっと見ているんじゃないかと。
逆に年下の人のことはあんまり見ていなくて。はっと気づいたらなんだか違う文化の人々が生まれてた、みたいなところがある。キャッチアップできてない。


そして、近づいていく対象であることと遠ざかる対象であること、というのもあるかもしれない。
年は増えるけど、減らない。時間は進むけど戻らない。
年上の人はこれから近づいていく対象であるけれど、年下は離れていく対象である。


あと、年上の人にはかなわなくて当然だし、ばかにされてもしょうがないけれど、年下にはそれをされるのが怖いのかしら、というのもある。
常に年下の人より上位にいたいと思うから?あんまりそう意識したことは無いんだけど。
でも軽蔑されるのが嫌、というのはあるかもしれない。年上の人に軽蔑されるのは構わないけれど、というかそれは織り込み済みというか。うーん年下にもそれをしないのはなんでだ。

これ、私の中での男の子と女の子の差に似ていて(気を遣うか遣わないかという)。男の子には嫌われても別に構わないけれど女の子にそれをされるのは怖いというような(でもこれも沖縄と本土では違う。沖縄の友達の女の子にはあんまりそういう風に思わない。)。
これらが同じ原理だとすれば、「守る対象」として認識しているものには気を遣い、そうでないものには気を遣わない、ということなのかもしれない。よくわからんけど。

あ、気を遣われると気を遣う原理かもしれない。
それだな多分。それで沖縄の女の子と本土の女の子の違いの説明できるわ。
気を遣うという互いの行為が距離感を増しているということ。それだそれだ。

No comments:

Post a Comment