August 4, 2010

凄い人のこと

ついったーで書いたが思い立ってこっちに書くことにした。

最近、すごいなこの人。人か?
と思うことがあり。

例えばNHK大河ドラマ「龍馬伝」。これは撮り方が独特で、人間が全体的にぎらぎらしている。
「後藤正二郎」役の青木崇高。ぎらぎらである。一歩間違えるとチンピラなのだけど、そこはしっかり侍を演じている。
「高杉晋作」役の伊勢谷友介。高杉晋作だからかっこいいはかっこいいんだけど、伊勢谷友介の目つき、身のこなし、口調、着物の着崩し方は本当に切れんばかりのキレがあり、色気がある。散切り頭で。見事としか言いようが無い。
「武市半平太」役の大森南朋もまた、実直そうで冷徹で、責任感の強い忠実な人間を見事に演じきっていた。最後の大殿様(山内容堂)との牢でのシーンも鬼気迫っていた。
「吉田東洋」役のお爺ちゃんも、恐ろしく凄味があって。ぎらついていた。何だあの俳優は、誰だ、と思っていたが、元はダンサーだったらしい(クラシックバレエ、モダンダンス)海外公演などもやっているらしく、最近になって舞台や映画にも出ているようだ。あの顔はむちゃくちゃ色々なものが堆積してできた顔だ。

そして、漱石先生のことですが。
以前に「こころ」を読み返して、ふむ、こういうものか、と思い(それなりに思うところはあった)、「草枕」は積読で、「虞美人草」を読むこととした。
本当に、景色の描写は非常に詩的であって、美しい。よくよく注意していないと何のことを話しているのか見失う。主語をあえて出さずに書く。漢詩のような文章である。登場人物中の甲野さんは哲学的であって、もう一人との問答も面白い。いずれ引用したい。
本当に、物凄い。こんな文章見たことない。人を食ったような感じを受けるけれども、すごい。art分野は本当に門外漢なので、こういうのを見るとひたすらに感嘆する。ほぅ。


こんなに凄い人たちがいて、良かったなあということ。それは人類として誇れるとかそんなんでなく、凄いと思えるからよかったっていうこと。「凄い!」というのは一種の興奮である。興奮体験がなければ、人生は盛り上がらない。感動できるということは本当に人間の感情の作用の中でも一番素敵な機能だと思う。

14歳の頃にブルース・リーを一目見て心奪われた熱心なファンの人で、自らも截拳道(ジークンドー)を理解し体得し、IUMA日本振藩国術館とUSA修斗の両方で代表を務め、ブルース・リー財団日本支部最高顧問である中村頼永さんという人がいる。テレビで拝見したところ、すごくいきいきしているし、楽しそうだし、ブルース・リーをブルース・リー先生と呼ぶほどに大好きだ。
彼も凄いし、一人の人間の人生をここまで変えてしまった(良かれ悪しかれ)ブルース・リーも凄い。凄い人に感動しすぎるとこういうことが起こるのだなあと。

こういう所謂有名な人というのでもなく、凄い人というのはすぐ側にもいて。
そんな人がすぐそこで普通にご飯食べてたりなんかするとまじ揺るぎねえなとか思ってしまう。年というアドバンテージをなくして考えたとしても。私が年をとって同じ経験をしたとしても今のこの人のようにはなれない、という。

凄い人ってほんとうにいるよなあと思った。それだけ。

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