August 13, 2010

耳の解像度

ついったーでもつぶやいたのだけど
エレクトロニカの世界~渋谷慶一郎の電子音楽マトリックス~
という番組が3夜連続でやっている。ラジオで。NHK FM。ニシカワさんのついーとで知ったのだけど。
今日2夜目から半分くらい聴いたが、ラジオを聴く習慣が無いためしょぼいラジオしかなくて、左からしか聴こえない(そして接触不良気味)という劣悪な環境で聴いたので、勿体無い感じであった。加えて、リビングにいたため、人がラジオ聴いてるのにお構いなく話しかけてくる家族。おかげでグリッチのとことか聞き逃している。

で、そのなかで、音の解像度が上がっているという話が出て。
マイクロスコピック、という言葉があって、それは顕微鏡的な、という意味なのだけど、技術が発達してくると音の扱いがミクロになってくると。拡大して作りこめると。そうすると音の解像度が上がる。で、それを聴く方も耳の解像度が上がると。
それはもうほとんど常識のように口にされたわけだけれど(常識なのかも知れんけど)。

耳の解像度って。
つまり耳が肥えるということよね。舌が肥えるみたいに(舌の解像度も上がるわけだ)。
まあ像といってしまうと視覚っぽいのだけど。でもしっくりくる。
この前、変化すること、みたいなエントリで、人間の方も変化してるから音の聞こえ方が変わってくるのかも的なことを書いたけれど、まさにそれで、というかそれ常識、みたいな感じで。
より微細な音の違いを聞き分けられるようになる。すごい小さい音の差分みたいなものとか、よりかすかな振動とか。妙な音とか。
そうやって新しい音、新しい音ってやってるうちに、自然界では聴こえない音を人間は作り出すようになったんだなあと。
ノイズを聴くのって最初の頃全然不快で。少しのノイズも不快というか、いらんと思っていて。だから、Telefon tel aviv聴いてたときも、ノイズ無ければいいのにって思っていた。私はやさしい電子音が好きなのであって、ノイズが好きなわけではなかった。つまり、レイ・ハラカミみたいな音が好きだったってこと。
で、だんだんノイズが心地よくなっているのに気づく(今もそればっかりは苦手だけど)。というか、ドラムとかってその一種というか。パーカッションというか。

で、ヤマダ電機に行った際、自分のiPodを接続して聴いていいという試聴用のイヤホンがいくつかあったので試したところ、全然違う。同じ曲かと思うくらい違う。あるものは解像度が高いけれど、ちょっと明るすぎる。軽すぎるというか。で、あるものは低音が割にしっかりしていてバランスがいい。とか。ちなみに私のイヤホンは安い。ヘッドホンも一応ヘッドホンだけど1万いかない。院の同期は4,5万するやつをノイズキャンセリング機能が秀逸だからといって自習室で装着していた(その時は音楽を聴いていない)。超贅沢。
イヤホンでこれだけ違うんだから、もはや同じ曲聴いてるとは信じがたい。特に音楽にうるさい人ほど。

で、やくしまるえつこの、ウィスパーな声(エフェクトで息の音を強調しているとか)、あれもノイズか、と得心。ノイズが心地いい理由が少しわかる。生体音というか。あーあと具体音とも言っていた。
奥深いぜ。

人間ってそういう意味でもどんどん進化しているというか、どんな小さいことも味わえるようになっているというか。少しの音、色彩の違い、味の違い、手ざわり、舌ざわり。
愛すべきこの世界。

と思っためも。

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